2012年01月19日(木)03時33分

【コラム】欧米化が著しい日本製ゲームから見えてくるものとは?

1306.jpgMetal Gear Solid 4: Guns of the Patriots

日本の据え置き機市場の衰退に伴い、欧米風のゲームで欧米市場を狙う日本のパブリッシャーが増えつつある現状をIGNが分析。「日本製ゲームの欧米化」というトレンドの先には何があるのだろうか?

「とっても・・・日本的だ」という言い回しは、かつて何か奇妙なものを表現する際に使われたものだ。世界中のあらゆる人間にとって、日本製という単語だけでどんなゲームかは一目瞭然。ゲーム好きならば、ゲームを見れば独特の文化的特徴に気付くはずだ。とはいえ、時の経過と共に、何が欧米的で何が日本的なのかという区別化は出来なくなりつつある。

日本のスタジオの多くが独特のデザイン遺産を引き継いでいるとはいえ、アメリカ的なアイディアを用いるゲームも増えつつあり、その結果として欧米のゲーマーが馴染みやすいゲームが増えている。こうした動きは、ゲーマーである我々にどんな意味をもたらすのだろうか?そんな疑問を抱いた我々は、この新しいトレンドが業界にもたらす影響について、じっくり分析してみる事にした。

何がアメリカ的で、何が日本的なのか。明確に定義付けるのは難しい。日本とアメリカがお互いのトレードマークを積極的に取り入れて行ったため、ゲーム・デザインにおける様々な要素を大雑把に判断するしかなくなってしまった。Biohazard 4と共に日本で生まれた(少なくとも、日本が人気に火を点けた)肩越し視点シューターが、アメリカ製アクション・ゲームのトレードマークになって久しい。Metal Gear Solid 4: Guns of the Patriotsがシリーズにとって大きな転換点になった理由はそこにある。

Solid Snakeの物語を締めくくるにあたり、小島秀夫氏はアメリカ人のプロデューサーRyan Payton氏を招き入れ、欧米市場により幅広くアピールする作品にしようとした。Payton氏はMetal Gear Solid 4の操作性やカメラを改善したと言われており、壁への張り付き、匍匐全身といったSnakeの動作全般が過去作よりも容易になった。確かに、巨大なロボットや触手を持つヴィランといったアニメ風味は山ほど盛り込まれているが、マルチプレー、銃のカスタマイズ、Gears of Warからの影響には、欧米風味が色濃く反映されている。

欧米と日本のハイブリッド作品としてのMetal Gear Solid 4が重要なのは、そのバランスだ。激しいアクションは最後の手段ではなくなり、シリーズのトレードマークであるステルスに代わる、有効かつエキサイティングな代用手段となった。欧米のゲーマーにとって、Metal Gear Solid 4はシリーズで最も取っ付き易い作品であり、Payton氏が正しかったことは、作品の商業的成功が証明している。同時に、彼は連鎖反応も引き起こした。Metal Gear Solid 4がこのトレンドの仕掛け人であるかどうかは議論の余地があるが、今後発売される日本製ゲームの多くが、アメリカ市場向けに似たようなステップを取っている。

1826.jpgShadows of the Damned

文化の融合という意味で、Shadows of the Damnedはその好例だろう。ゲーム・デザインに三上真司氏と須田剛一氏、音楽に山岡晃氏を配したShadows of the Damnedは、日本のオールスター・チームといった趣だ。面白いのは、本作が東京ゲームショーで初公開されたにもかかわらず、発売はアメリカの方が3ヶ月も早かったという点だ。奇妙で下品かつブラック・ユーモア満載の本作は、アメリカのスタジオが作ったゲームといってもおかしくない仕上がりだったし、Shadows of the Damnedが用いた肩越し視点のシューティング、一本道の間に挟み込まれた多くのカットシーンという構造は定番のものだ。残念なことに、このブレンドは日米双方のゲーマーに受け入れられず、世界的な失敗作となった。開発元のGrasshopper Manufactureは、長過ぎた開発期間と宣伝不足を原因に挙げている。

確かにそうかもしれないが、一つの疑問が残る。仮に宣伝に大規模の予算を投じていたら、これほどアイデンティティー危機に陥ったゲームも、人気を博すことが出来ていただろうか?カプコンも、この疑問への応えは提示できていない。

カプコンは他のどのスタジオよりも、北米市場を重視している。Dead Rising 2をカナダの開発会社に任せ、1作目の風変わりな側面を良くも悪くも完璧に再現して見せたし、もう一つのカナダの開発会社Slant Sixは、典型的なアクション・タイトルBiohazard: Operation Raccoon Cityを手掛けている。最近では、Biohazard 6の開発を北米チームが手掛けているのではないかという噂もある。カプコンの日本製タイトルすら、欧米のプレッシャーからは逃れられなくなっていて、Biohazard Revelationsは原点回帰ではあったが、Dragon’s Dogmaは欧米のゲームと言っても差し支えないような仕上がりとなっている。

Dragon’s Dogmaの細部まで詳細に記されたミニマップ、明確なテキストによる指示、道徳的選択などは、通常は探索や発見に重きを置き、道徳的選択などは存在しない日本製RPGに期待する要素ではない。Dragon’s Dogmaは全体的にGygaxian風味を感じさせ、「ロード・オブ・ザ・リング」のスピンオフと勘違いしてしまうほど。欧州やアメリカのアイディアがそこら中に散りばめられている。逆に、特徴的な容赦のなさにこだわったDark Soulsを、我々は賞賛した。この日本製アクションRPGは、ジャンルの古典の愛すべき要素を現代風にアレンジし、そこに耐え難いほどの難易度というボーナスを追加。サディストが一部の日本製ゲームを崇める理由だ。

4119.jpgDragon’s Dogma

難易度の高いスキルをベースとしたゲームの代名詞といえばNinja Gaidenだが、Team Ninjaが欧米市場に合わせようとする過程で、そのトレードマークも失われつつある。1作目、そしてNinja Gaiden Blackは、プレーヤーの知性が試される作品だった。貧弱なテクニックには惨たらしい敗北が待ち構えており、プレーの仕方を優しく教えてくれたりもしない。Ninja Gaiden 3は難易度が低く、我々はそこが気に食わないのだ。決して我々北米人がヤワだと言ってるわけではないが、新たなデザインの方向性の多くは、自動回復や強力なオート・エイムといった欧米製アクションに顕著な要素を思い起こさせるものばかり。お陰で簡略化された戦闘が輪をかけて簡単になっており、より手軽でアメリカナイズされた結果、Ninja Gaiden 3はシリーズ最大の特徴を失ってしまったのだ。

注目すべきなのは、日本製ゲームの「アメリカ化」が良い事かどうかではない。この新カテゴリーに極めて多くのゲームが参入しようとしている現在、その答えはまだ出ていないからだ。とはいえ、今後が楽しみなクールな変化である事は間違いない。こうした新たなムーブメントが起きている事自体が重要なのだ。日本のデベロッパーたちは、その客層が興味を示す作品を作るという、最も筋が通ったやり方で欧米のゲーマーに手を差し伸べている。これはゲーム開発における大胆で新しい一歩だが、Dragon’s Dogmaのような作品にとって、ただ生き残るだけでなくヒット作になるためには、日本と欧米のバランスを上手く取るしか道はない。

Xbox 360の日本での失敗からも明らかなように、北米のスタジオはこれまでの成功に根ざした活動を続けている。日本製ゲームの欧米化と比べ、北米側による日本向けのムーブメントは殆ど存在せず、そこにこそ我々の注意を引くための日本のデベロッパーの努力が如実に現れていると言えるかもしれない。日本の職人たちは日本製ゲームの新たなアイデンティティを築き上げつつあり、時が訪れれば、再び独自性を勝ち得る可能性もある。こうした努力があるからこそ、「極めて日本的」という言葉には否定的な意味合いよりも肯定的な意味合いが強く含まれているのだ。

奇妙なものを日本的と呼ぶのはもう止めにして、代わり映えしないものを欧米的と呼ぶべき時期なのかもしれない。

[ソース: IGN]

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