2012年03月26日(月)17時53分

BioWareがMass Effect 3のエンディングを変更すべきではない理由

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Mass Effect 3のエンディングに対する強い反発を受け、BioWareがエンディングを拡張する形のダウンロード・コンテンツを開発中であることを明言しましたが、GameSpotはBioWareは決してエンディングを変更すべきではないとするコラムを掲載しています。

Mass Effect 3のエンディング変更を求める署名運動には、現在4万近い署名が集まっているが、BioWareはその全てを無視すべきだ。

一つの芸術作品として、Mass Effect 3は議論や分析、そして批評の対象になるべきだ。愛される必要はないし、好きになってもらう必要すらない。お金を支払う消費者として、ゲーマーたちはゲームやそのコンテンツ、エンディングに不満を表す権利がある。自由に自らの意見を述べ、罵倒し、賞賛することができるし、署名運動を始める自由もある。だがBioWareは、そのどれもに耳を貸す必要はない。

アーティストが観客の要求を聞き入れ、自らの作品を変え続ける世界を想像してみて欲しい。カラーは嫌だと言われたモネが、「睡蓮」を白黒に塗り替えたり、その内容に異論を唱えられたために、サルマン・ラシュディが「悪魔の詩」を書き換えたりするところを想像して欲しい。誰かが異論を唱えたからといって、その芸術作品を変更したり、編集したり、作り直したり、破壊したりするという考えは、全ての芸術を無意味なものにしてしまう。芸術というのは、1人もしくは複数のアーティストのクリエイティブ表現であり、決して万人が参加する民主的プロセスではないのだ。

ファンが様々な理由でクリエーターに変更を要求するという事例は、ゲーム業界以外にも数多く存在し、決して珍しいことではない。だからといって、それが許されるわけではない。ゲーマーは消費者であり、Mass Effect 3は製品。ゲーマーは観客であり、Mass Effect 3は芸術品。この2つは、創作過程で完全に分け隔てられているのだ。プレーヤーが自らの体験を作り出すことができる幅が用意されているとはいえ、Mass Effect 3は予め構築済みの作品だ。ゲーム内のピクセル一つ一つはBioWareが所有し、ゲーマーたちは用意されたゲームをプレーするだけ。プレー方法はプレーヤーの自由だが、その選択肢を所有することはできない。

一部の人々は、BioWareがMass Effect 3で約束通りの作品を提供しなかったと主張しているが、これは全くの的外れだ。アート、そして製品として、Mass Effect 3は作り手の所有物であり続ける。完成された製品としての作り手による表現であり、その唯一の目的は観客によって消費されることだけで、作り直されることではない。BioWareはファンの意見に耳を傾けてはいるが、ゲームの創造過程に関わったのは、あくまで開発チームだけだ。

芸術というのはアーティストだけのものではないし、観客だけのものでもない。芸術品というのは、両者の関係性の中から生まれてくるものだ。Mass Effect 3のようなゲームは、観客にプレーされるまで完全に完成したとは言えず、その観客もまた、自由な反応を示すことが許されなければならない。

だが、芸術品は既に完成しているのだ。観客の反応や要求を直接反映する形で変更や修正を加えるというのは、アーティストと観客の関係性を壊すものだし、オリジナルの芸術品の存在が無意味になってしまう。もしBioWareがMass Effect 3のエンディングに手を加えるなら、ゲーム自体が元々のクリエーターの表現ではなくなってしまう。芸術ではなくなってしまうのだ。

[ソース: GameSpot]