2012年05月07日(月)19時31分

【コラム】戦争ボケ 〜 FPS終わりの始まり

『Call of Duty』シリーズの爆発的人気に代表されるように、欧米市場では現在1人称シューターが大人気ですが、こうした状況も終わりを迎えつつあるとするコラムをIGNが掲載しています。

『Metal Gear Solid』の生みの親である小島秀夫氏は今年始め、「1人称シューターが狂ったように売れていて、他のジャンルへの需要があまりない」と語った。ビデオゲームにおける革新性の欠如は、FPSという一つのジャンルが市場を独占していることが主な原因であると彼は考えている。

小島秀夫: 独創的なアイディアがあまり生まれない理由はそこにもある。消費者は細かなアップグレードや調整で満足していて、それが変わらない限り、今後も同じ状況が続くだろう。

革新性がありきたりのミリタリー・ブーツに踏みつけられている不毛の地を連想させれらる言葉だ。現実はそこまで憂鬱ではないかもしれないが、1人称シューターの人気と収益性が、他のジャンルに与える悪影響は否定できないだろう。

たとえば『Biohazard』。シリーズのプロデューサーである河田氏は、FPSが王座に君臨する市場での競争力を保つため、サバイバル・ホラーから徐々にアクション寄りにシフトさせたことを認めている。

川田将央: サバイバル・ホラーのマーケティング・データを見ると、『Call of Duty』といったアクション・ゲームよりもはるかに小さな市場であることが分かる。サバイバル・ホラーの『Biohazard』では、同等の数字は望めないんだ。

戦略はシンプル。『Call of Duty』並みの数字を叩き出すには、『Call of Duty』のようなゲームでなければならない、というわけだ。

1379.jpgCall of Duty: Black Ops II

とはいえ、永遠に続くものなどないし、どのジャンルも王座に君臨し続けることなどできない。シューターですら、だ。実際、終わりは既に始まっている。これはセールスの話だけではない。数週間前、『Modern Warfare 3』の総売り上げは前作『Black Ops』から4.2%減少しているというリポートがGamasutraに掲載された。Activisionが誇るフランチャイズも、今では下降傾向にあるのだ。これは事実なのだろうか?アナリストたちは、スマートフォンやタブレットにおけるゲーム市場や『Battlefield 3』という直接の競争相手の台頭、そして市場全般の売り上げの減少を要因に挙げている。それとも、ただの例外に過ぎないのかもしれない。Amazonによると、『Black Ops II』の予約開始初日の予約本数が前作『Black Ops』の10倍、『Modern Warfare 3』の30%増しに達していることを明らかにしている。短期的に売り上げは伸び続けるかもしれないが、このジャンルに終わりが近づいていることは、ゲームそのものを見るだけで分かるはずだ。

ロシアの文芸批評家Viktor Shklovsky氏は以前、「全ての芸術表現は誕生から死への避けられない道のりを辿る」と書いた。最初はポテンシャルに満ちていたジャンルも、続編やリブートを経るうちにアイデアが拡張されて蒸発し、最終的にはジャンル全体が詰まらない模倣品と化してしまうのだ。

こうしたFPSの過剰露出が消費者の感覚を麻痺させ、呆れた表情と『Call of Duty』のパクリじゃないかという不平不満を招いた。このようなしらけムードに対抗するため、全てのタイトルは独自性を前面に打ち出さざるを得なくなっている。これはFPSに限らず全てのゲームに共通することではあるものの、FPSジャンルにおける差別化への願望は特に顕著だ。まるで、同じようなゲームに見えてしまうことを密かに懸念しているかのよう(あまりに多くのゲームが同じエンジンを使用している現状を考慮すれば、これは単なる比ゆ的な懸念ではないだろう)。もちろん、ゲーム自体もこうした懸念に拍車をかけていて、これ以上ないほど平凡なイメージと面白味のないタイトルをわざわざ選んでいる。今年発売されるシューターだけでも、『Sniper 2: Ghost Warrior』や(3人称シューターだが)『Sniper V2 Elite』、『Enemy Front』、『Alien Fear』、『Warface』、『Warfighter』といったタイトルが並ぶ。

11127.jpgEnemy Front

多くのゲームは、無数のライバルとの差別化を図るために必死でオリジナリティを追求している。率直な物言いで知られるイギリスのゲーム・デザイナーStuart Black氏は、シューターを知り尽くす人物。彼はCriterionと共に傑作『Black』を手掛け、途中まで『Bodycount』の開発に参加し、現在はCity Interactiveで『Enemy Front』を開発中だ。

Stuart Black: 余計なフィーチャーに凝りすぎているゲームが多い。売りになるユニークな要素を盛り込むことだけに力を入れるあまり、肝心のシューティング体験はおざなりにされている。シューティングなんてただ撃ちまくるだけのことじゃないか、と言わんばかりだよ。

だが、Black氏にとって最優先にすべきなのは、核となるシューティング・メカニックだ。

Stuart Black: シューティングをとにかく気持ち良くするには、色々できることがある。私はFPSのファンで、FPSをプレーするのが好きなんだ。だから、あらゆるFPSを買ってプレーしているよ。ゲームを起動して動き回ったり軽く銃を撃ったりすると、十中八九すぐにガッカリさせられる。射撃のエフェクトの出来が良くなかったり、操作が今一つ気持ち良くなかったりする。壁を上れたりとか時間を巻き戻せたりとか、そういう色んなフィーチャーがあったとしても、シューティングが気持ち良いゲームはそうないんだよ。

Black氏にとって、ジャンルの未来はフォーミュラを改良し続けるところにあり、キャラクターや物語、舞台設定には存在しない。だが、本物らしさの追求にこそジャンルの未来があると考える者もいる。『Medal of Honor: Warfighter』を手掛けるスタジオDanger Closeのシニア・クリエイティブ・ディレクターRichard Farrelly氏は、ジャンルの未来は本物らしさの追求にあると考えている。

Richard Farrelly: 没入感が全てだ。主人公たちの体験をそのままプレーヤーに体験させること。特に次世代機になれば、オーディオやビジュアル、操作感に至るまで、迫真性は物凄いことになる。そういう方向に向かうと考えているよ。

2254.jpgMedal of Honor: Warfighter

ジャンルのお約束を超越した1人称シューターもある。『BioShock』や『Deus Ex』は、ジャンルの未来を見据え、興味深い舞台設定とストーリーテリングに重きを置いている。だが、これらは際立つ例外であり、決して一般的ではない。

そのジャンルにライフサイクルの終わりが近づいていることが如実に現れるのが、パロディだ。というのも、そのジャンルのお約束が一般常識化している状態でのみ、パロディは機能するからだ。映画『スクリーム』は90年代半ばの代表的なパロディの成功例だが、これも20年近くに及ぶホラー映画ジャンルの積み重ねがあってこそ。『スクリーム』以降のホラー映画は、新たな潮流を生み出すか、『スクリーム』のギャグを繰り返すリスクを背負うこととなった。

昨年、『Bulletstorm』はマッチョ一辺倒のFPSで同様の試みに挑戦した。プレーヤーは「殺しまくって」「死体以外を残すな」と指示される。ひたすら過剰に暴力的なゲームであり、馬鹿みたいに楽しい独特のシューターに仕上がっていたが、その『Bulletstorm』はセールス的には成功したとは言えず、結果的にFPSのお約束は大方生き残ったままだ。

1534.jpgBulletstorm

『Black Ops II』の最新予告編を見ると、バイオレンスやセンセーショナリズム(今度は子供を吹き飛ばさないでもらいたい)ではなく、ファン層の予想に挑戦を挑むことで限界を押し広げなければならない、ということに『Call of Duty』も気付いたかのように見える。私の勘違いかもしれないし、馬に乗りながらの銃撃戦は、FPS王朝の寿命をあと10年延ばすようなゲームチェンジャーには程遠いかもしれない。だが心の奥底で私は、伝統的なミリタリー・シューターが可能性を使い果たしたサインに違いないと感じているし、だからこそ馬鹿でかい戦車ではなく馬に乗せることにしたのだろう。

既存のジャンルから有用性が失われた時、新たなジャンルが浮上する。既に捨てられたジャンルをリサイクルすることすら可能だ。映画界では、西部劇がありそうもなかったリバイバルを果たした。そして現在、ゲーム市場には『Asura’s Wrath』、『Dear Esther』、『Fez』、『Journey』といった、興味深い試みに挑戦したゲームが無数に存在する。その中には、ゲームの定義そのものに挑戦したものまである。これらのゲームは、イライラしながらチャンスを窺っているのだろうか?

例え私の説が間違っていて、ミリタリー・シューターが今後10年間王座に君臨し続けることになっても、その終焉は更に強力なメカニズムの存在によってもたらされることになる。こういう状況の時こそ、文学や映画から歴史の教訓を学ぶべきだろう。人気を維持し続けるジャンルは存在せず、1人称シューターだけは例外だと考えるのはわがままな無知だろう。他の媒体と比べるとビデオゲームはまだ若く、歴史も浅いため、FPS王朝が永遠に続くように見えるだけだ。こうした歪な歴史観こそ、小島氏の革新性への挽歌の根底にある。

文学の世界では、長年に亘って人気を誇ってきたジャンルに奇妙なパターンが存在する。様々な種類の本の中から人気を獲得するのはほんの僅かで、それらはその後25年から30年の間、王座に居続けることになる。だが、いずれは大幅な革新の時代に道を譲り、最終的には新たなジャンルが頂点に立つのだ。こうした現象は文芸批評家を当惑させたが、彼らが導き出した結論は、「誰も自分の親の世代と同じ本を読みたがらない」というものだ。これは音楽や映画もそうだし、ゲームも例外ではない。10年後の少年少女は、父親の世代がプレーしていた『Call of Duty』などプレーしたいと思わないだろう。

2255.jpgCall of Duty 4: Modern Warfare

そうした少年少女たちも、今から20年後に『Call of Duty 4』のGhillies in the Mistミッションを再発見し、多少は素直に受け止めるかもしれないが、最初は難色を示して他のゲームを買うはずだ。それが小島氏の語る状況を生み出すことになる。だがゲームが他の媒体と異なるのは、革新性はハードウェアと共にあるため、そのサイクルははるかに短くなるところだ。これまでとは異なる能力を持った新ハードウェアは、今までとは異なるジャンルを支え、全く新しいジャンルを生み出していく。

予言はいつか成就する。1人称シューターが堕ちる日は、近く必ずやって来る。だが、これは無限のクリエイティビティが花咲く黄金時代の到来を意味するものではない。歴史は繰り返すものであり、他のジャンル、それはRPG、もしくは2時間のゲームかもしれないし、全く新しいジャンルかもしれないが、そのジャンルもまた、いずれは市場にアンバランスな影響をもたらし、我々は同じ不平不満を繰り返すことになるのだ。

[ソース: IGN]

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