2012年06月26日(火)21時14分

【コラム】『Assassin’s Creed』の物語が抱える最大の問題とは

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『Assassin’s Creed』の物語が抱える問題点を指摘するコラムを、VideoGamerが掲載しています。

ビデオゲーム・フランチャイズに関するコラムの冒頭でテレビ・ドラマを叩くのは奇妙だが、私は『LOST』が大嫌いだ。放映開始時、私はJ・J・エイブラムス流の摩訶不思議な漂流物語にどっぷりハマり、第1シーズンを最後まで見届けたが、腹が立って第2シーズンが始まる前に見るのを止めた。

その理由はというと、確かに脚本は良く書けていたものの、そのクレージーな舞台設定とデビッド・リンチっぽさから、私は『LOST』の脚本家たちが物語の結末を全く視野に入れていないのではないかという感覚が拭えなかったからだ。視聴率が落ち始めてプロットを前に進めざるをえなくなるまで、視聴者の好奇心に頼り切って可能な限り長く引っ張り続けようとしているようにしか思えなかった。

第1シーズン終了直前、私が偶然耳にしたラジオ番組で『LOST』第1シーズンに関する議論が行われていたのだが、パーソナリティの話を聞いて、私の最大の懸念は確証に変わった。

リスナーの言うことは最もだ。『LOST』の物語に混乱しているイギリスの視聴者の気持ちはとても良く分かる。私はアメリカにいて、こっちでは第2シーズンが終盤に差し掛かっているが、アメリカでも未だに誰一人として何がなんだか分かっていないからね。

この時点で、私は『LOST』を完全に見限った。最初から結末を思い浮かべていないストーリーテラーは許せるし、執筆作業が精密科学ではないことも理解している。物語のプロットを方向性を定めるには時間が掛かることもあるし、メディアによっては、それが中弛みに繋がることもあるだろう。

私が本能的に受け入れがたいのは、大円団やカタルシス、幕引きを何らかの形で用意しているという空約束で、書き手がオーディエンスを半永久的に引っ張ることが許されている点だ。これは契約違反だと私は考える。書き手は、ある時点で中身のない口約束以上の何かをオーディエンスに提供しなければならない。これは難解な作家についても同じで、明確な答えを用意しないとバロウズやピンチョンを批判する人間は、彼らの本を買う前にあらかじめ下調べをしておくべきだっただろう。

そして『Assassin’s Creed』だ。このビデオゲーム・シリーズは、私が思うに中核プロットにおいて『LOST』と同じ過ちを犯し始めている。

『Assassin’s Creed』の熱心なファンが大量のヘイトメールを送りつけて来る前に言っておくが、私は『Assassin’s Creed』シリーズの大ファンだ。私がシリーズ全作を所有し、『Assassin’s Creed III』と『Assassin’s Creed: Liberation』を既に予約している理由を詳しく説明することもできるが、今は文面が限られている。私がEzio Auditore de Firenzeのフィギュアを家族の写真の横に飾っているのには、ちゃんとした理由があるのだ。それに、ググらなくても「Ezio Auditore de Firenze」という名前をちゃんと書けるジャーナリストは私だけだろうし、それにも理由がある。彼が実在したら妻は彼に走るだろうが、それだけが理由ではない。

21108.jpgEzio Auditore de Firenze

もう一つの理由は、Ezio Auditore de Firenzeがビデオゲーム史に残る素晴らしいキャラクターだからである。シリーズ未経験者にはとりあえず『Assassin’s Creed II』をプレーして欲しい。その後でEzioともっと時間を過ごすために『AC: Brotherhood』をプレーしたくならなかったとしたら、それは君がどこかおかしいのだ。

『Assassin’s Creed II』『Brotherhood』そして『Revelations』を通して、プレーヤーは間違いなくEzioに人間的魅力を感じるはずだ。『Assassin’s Creed II』では、権力争いの過程で家族を皆殺しにされる様子を目にし、我々はEzioの怒りと復讐への渇望を共有する。『Brotherhood』では、彼の人生を一変させたイタリア国内の腐敗に立ち向かうEzioと歩みを共にし、愛する者との別れを経験する。『Revelations』では、戦いに疲れ切ったEzioがミッションを無感情に遂行し、殺し屋としての人生を生きてきた男に相応しい人間関係を垣間見る。

Ezioは現在の『Assassin’s Creed』シリーズの顔であり、だからこそUbisoftは、イギリス人とネイティブ・アメリカンの混血である自由の戦士Connor Kenwayのキャラクター造詣に力を入れているのだろう。現時点での彼はEzioと比較すると一本調子に見えるが、まだ判断を下すのは時期尚早だ。少なくとも、彼は1作目の主役であるAltairよりは興味深い人物に見える。Altairの特徴といえば、中世の中東において唯一20世紀のアメリカ英語に堪能だったことくらい。とはいえ、『Revelations』と『Bloodlines』では、Altairのパーソナルな一面を垣間見ることができたし、これといった話題にはならなかったものの、1作目の時よりもキャラクターに深みが増したのは確かである。

ただ、小さな問題がある。『Assassin’s Creed』の中核を成すプロットの主役は、AltairやEzio、Connorではなく、先日発表されたばかりのVita版『Liberation』の女性アサシンAvelineでもなく、21世紀のバーテンダーDesmondなのだ。いや、真面目な話。

そして、これが前述した私の懸念に繋がってくる。Ubisoftは既に、Desmond関連の物語を終わらせる予定であると発表しているが、率直に言って、それも驚くべきことではないだろう。シリーズ過去数作でプレーヤーは、Ezioの掘り下げに興奮し、Altairの物語で明かされた真実に魅了されたが、Desmondを巡る中核プロットは足踏みを続けたままで、シリーズのライターたちはこのキャラクターの明確な方向性を持っていないのではないかとすら思わせた。

2024.jpg『Assassin’s Creed II』

正直な話、Desmondを巡るプロットは最初からあまり面白くなかった。1作目が終了した時点でも、彼についての知識はプレー前とほぼ同じ。『Assassin’s Creed II』と『Brotherhood』では彼のためのプラットフォーマー・ステージも用意され、それらは確かに楽しかったが、とあるキャラクターの困惑させられる死を除くと、これといって驚くような展開は用意されていなかった。こうしたストーリーテリングの観点から見ると、『Assassin’s Creed: Revelations』は正にどん底だ。プレーヤーは退屈な1人称視点プラットフォーマーを強要され、Desmondは自らの人生についてのらりくらりと語ってみせる。アサシンによって育てられ、Templarたちに追われるという人生にも関わらず、Desmondが語ると極めて退屈な人生に聞こえてしまうから驚きである。

Desmondが大して重要ではないキャラクターなら、これでも何も問題はない。実際、過去4作品を通してライターたちはDesmondをそういうキャラクターとして描いてきたのだ。だが、彼は重要なキャラクターだ。彼に関する物語要素が完全に崩壊した時点で、彼はシリーズ全体を牽引する存在になっていた。Templarとの戦いやAnimus内でのEdenを巡る冒険は、プレーヤーを引き込んで魅了する物語でなければならない。問題は、Desmondにまつわるプロットがこれほど焦点が定まらずに殆ど進展もしない場合、プレーヤーはどうでも良くなってしまうことだ。

Desmondの物語が終わりを迎えるということで、もはやシリーズにおける彼の存在は、全体の物語とは無関係のメカニック上の理由のみに見える。振り返ってみると確かに、DesmondとAnimusが生み出されたのは、異なる時代を舞台にしやすいからというだけのように感じられる。もしそうなら、Desmondはゲーム史上最も無意味なキャラクターになるだろう。ゲーマーというのは元々忠誠心が高いので、ゲームの出来さえ良ければ、同じブランド名を冠しながらも、舞台設定を変えてメカニックを進化させたいと願うデベロッパーにどこまでも付いていく準備ができている。『BioShock』のKen Levine氏に聞いてみれば良い。

物語が一向に進展しないという以外にも、Desmondが排除される理由は他にもありそうだ。シリーズの長年のファンである私は、Ubisoftはそもそも彼の物語の結末を考えていなかったのではないかと思い始めている。Ubisoftはただ、『Assassin’s Creed』を量産したかっただけで、もし何らかの区切りが付いてしまうと、フランチャイズが死んでしまうことを知っていたのだろう。

Animusへ入るDesmondがいなくなると、古い武器で遊んだり、藁の山に飛び込んだりする過去への旅も存在しなくなる。Ubisoftに残された唯一の方法は、Desmondを排除して新たなキャラクターを登場させること。つまり、ファンは再び新たな主人公に感情移入しなければならなくなるわけだが、『Assassin’s Creed: Liberation』のアサシンが女性になるという事実は、新たな主人公を暗示しているのかもしれない。その場合でも、シリーズの設定を多少は書き換える必要性が出てくるだろう。Desmondはそもそも、重要な血筋の末裔であると紹介されてきたのだから、彼の退場には何らかの説明が不可欠だ。

だがもし、シリーズの物語への投資が報われるとしたら、『Assassin’s Creed』シリーズのライターたちは、Desmondの物語に満足のいく結末を用意する必要があるだろう。こんな言い方をするのは傲慢かもしれないが、それくらいはしてくれても良いのでは、と感じている。私は消費者として、そしてシリーズのファンとして、Desmondの退場に際し、Desmondの物語の行く末に関する明確な方向性が存在した、という僅かながらの証拠がもたらされることを期待している。

もし仮に、UbisoftがAnimusを使用する新たなキャラクターを登場させようと考えているなら、そのプロットはDesmondのものよりもシンプルで優れたものにする必要があるだろう。たとえそれができなかったからといって、シリーズのファンが去ってしまうわけではないだろうが、ライターたちが未来部分の物語の方向性をしっかり練っていないなら(現時点ではそう見える)、未来部分はなしにして、過去のみを舞台に話を進めていった方が良いだろう。

それと、毎回15時間から20時間を費やしてきたプレーヤーにクリフハンガー・エンディングを突きつけるのを止めにできるなら、それも嬉しい。

[ソース: VideoGamer]