2012年07月17日(火)23時27分

【コラム】Metacriticがゲーム業界にもたらす弊害とは

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様々なサイトのレビューを集計して平均点を掲載し、ゲーム業界ではゲーム開発にまで影響を及ぼすまでになったと言われるサイト、Metacritic。しかし、その影響力の大きさゆえに、業界全体にもたらす弊害も目立つようになっている現状を、IGNがコラムにまとめています。

「公開から2週間後のレビュー集計サイトでの平均点が80%以下だった場合、脚本家と監督はロイヤリティーを受け取れない」という一風変わった契約が交わされた映画が数週間後に公開されるとしよう。もしくは、「音楽雑誌で5つ☆を取れず、レビュー集計サイトでの平均点が85以下だった場合、契約金は支払われない」とする契約にサインした新バンドがあるとしよう。

それがどれだけ馬鹿げているか、想像してみて欲しい。しかし、ゲームのデベロッパーは現在、正にそういった状況下に置かれているのである。大手のサイトや新聞、雑誌から、ブログや小規模サイトまでのレビューを集計して平均点を出し、一目で分かる評価を提供してくれるサイトMetacriticは、ゲーム業界においてあまりに巨大な影響力を保持するまでになり、それはゲーム・レビューの性質だけでなく、ゲームの開発や宣伝、そしてデベロッパーへのギャラにまで、直接的な影響を及ぼすまでになっている。

これらは、必ずしもMetacriticやその運営側の責任ではない。レビュー・スコアの平均点を出すこと自体は悪いことではないし、限界こそあれ、映画やゲームのファンにとって非常に便利なサービスとなっている。問題なのは、ゲーム業界がゲーム開発や宣伝の方法を決定するためにMetacriticの平均点を利用していることであり、批判に対して負の効果をもたらしていることだ。

Metacriticは、ゲームだけでなく映画やテレビ、音楽の平均点も掲載しているが、平均点がここまで尊重されている業界はゲームだけだろう。EAからBethesdaまで、大手パブリッシャーの殆どがMetacriticの平均点を重要視しているし、ゲーム開発、宣伝におけるあらゆる要素に影響を及ぼしている。アイデア、つまりゲームに収録されるクリエイティブなアイデアも、Metacriticの平均点にどう影響するかによって、ゴーサインが出されるのである。PRの人間たちも、彼らが「達成」した平均点を見て、自らの仕事を測るのだ。

あちこち探し回らずとも、パブリッシャーの頭にはMetascoreしかないという証拠は、そこら中に転がっている。2011年、Take-Twoの最高経営責任者Strauss Zelnick氏は、「他のエンターテイメント業界と違い、Metacriticの平均点やその他のレビュー・スコアは、新作タイトルの成功を大きく左右する。平均点が一定のラインを下回ると、そのタイトルを売るのは非常に難しくなる。一定のラインを超えれば、成功する確率は大幅に上昇する」と発言している。TelltaleとBiowareは、ユーザー・スコアを操作したことが発覚している。Peter Moore氏はEA Sportsのトップだった当時、『FIFA 10』のチームにMetacriticでの平均90点を目標に定めた。そして後に、平均点を成功の物差しにするのは「滑り坂」であると発言している。

この件に関して表立って発言する人間がいないことは理解できるが、大手パブリッシャーやジャーナリストとしてゲーム業界で働く者ならば誰しもが、一つや二つ話を耳にしているはずだ。ObsidianのChris Avellone氏は、この3月に沈黙を破り、『Fallout: New Vegas』のMetacritic平均が85点に届かなかったため、Bethesdaからボーナスを受け取ることができなかったことを、現在は削除されているTwitterでのつぶやきで明らかにした(悲劇なのは、平均が84点に留まっていることだ)。

これはもちろん、全てのパブリッシャーや契約に適用されることではない。とはいえ、このようなことは誰に対しても決して適用されるべきではないのだ。これは、批評家にとっても非常に奇妙な問題を生み出すことになる。ゲームに厳しい採点を付けた批評家が時折指摘するように、批評家がデベロッパーの生計を脅かす存在になる可能性があるのだ。これは決して、批評プロセスにおいて考慮すべき事柄であってはならない。デベロッパーに対する同情でスコアを水増しするというのは、批評家としてあるまじき行為であり、読者に対しての裏切りでもある。

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これは、ゲームの成功を平均点で計ろうとする行為が持つ、もう一つの問題点に繋がってくる。Metacriticに掲載されたレビューは、全て異なるプロフェッショナリズムの基準を持つサイトから集められているという点だ。Metacriticの計測システムは、重要視されるサイトにより大きな影響力をもたらすが、それでもこのシステムが破綻していることに変わりはない。小規模サイトの経験の浅いライターは、高いスコアを与えればリストのトップに自らのサイトが掲載され、それがトラフィックを生み出すことを知っている。Metacriticをレビューのリソースとして使用する分にはこれでも問題はないが、そのスコアが続編の有無に関わってくるとなると、深刻な問題を生み出すことになる。

それが、パブリッシャー側の危なっかしい振る舞いに繋がることもある。大手サイトによる控えめな点数を覆い隠すために、小規模サイトをターゲットにして平均点を上げるよう指示されたという、PR幹部の話を私は耳にしたことがある。ゲームのマーケティングに携わる人たちにとって、Metacriticは年次評定の際に必ず取り上げられ、理想的ではない平均点のゲームは、時として厳しい叱責を受けることがあるという。

Metacriticの平均点は、経験豊かな批評家による見聞の広い面白い意見という、レビューのあるべき姿を傷付け、多数の意見を数字の平均に集約してしまう。だが、人々の意見を平均化することはできない。君が大好きなMuseのニューアルバムを、Radiohead好きの友人が酷評したとしても、そのアルバムが平凡なアルバムということにはならない。しかし、パブリッシャーはMetacriticのスコアを正にそういった形で利用しているのである。これでは賛否が分かれるようなゲームを罰することになってしまうし、最も面白いものというのは、往々にして多少なりとも賛否が分かれるものだ。

『Limbo』のクリエーターArnt Jensen氏は、以前私に「人々の意見を集めて面白い作品を作ることはできない」と語った。特定のパブリッシャーが、大作フランチャイズに関しては何故あそこまで保守的なのか。その答えがそれだ。既に大きな成功を収めたフランチャイズに何らかの変更を加え、そのせいでMetacriticの平均点が下がり、ちゃんと仕事をしていないと見なされてしまうような場合、実験を正当化するのは極めて困難だ。

大きな予算をかけたメインストリーム・タイトルには独創性や革新性がないと文句を言ったことがあるなら、その責任の一端はMetacriticにある。とあるゲームにおける調整やリスキーな新要素を、10程度の小規模ブログが疑問視した結果、平均点が5ポイント減少し、それがゲームの作り手たちにとって破滅的な結果をもたらすことになるのである。

では、解決策はあるのだろうか?Metacriticの平均点がいつの間にか祭り上げられるようになってしまったのには、ちゃんと理由がある。数字というのは、一目で分かりやすいからだ。誰が見ても即座に理解できる。そうした文脈から一歩踏み出ると、何の意味も持たなくなってしまう。私が話を聞いたデベロッパーの殆どは、それがポジティブかネガティブかを問わず、平均点よりも実際のレビュー内容をはるかに重視していた。

一方、ゲームの宣伝方法にも変化が見え始めている。超大手パブリッシャーですら、TwitterやFacebook、自社コミュニティ・サイトこそ、直接ファンとコミュニケーションを取る最良の方法であると気付き始めている。そうしたファンは、レビューが掲載されるはるか以前から、既にゲームを買うかどうか決めていることが多い。これにより、容易に売り上げに影響を及ぼすことができなくなり、平均点の重要性を減少させるだろう。

とはいえ、その影響力は依然絶大だ。Steamでさえ、各ゲームの詳細ページに平均点を掲載している。Metacriticに寄りかかったゲーム業界のあり方は、誰にとっても利益をもたらさない。デベロッパーにとっても、批評家にとっても、そして最終的にはゲーマーにとっても決して良くない傾向だろう。だが何よりも、ビデオゲームの長期的未来にとって悪い影響を及ぼす。映画や音楽といった他の重要なアート/エンターテイメントでは、賛否両論が許容され、当然とされているにも関わらず、ゲームの美点を数値での平均点に集約してしまうことは、ゲームが映画や音楽と肩を並べる妨げにしかならないのである。

[ソース: IGN]

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