2012年09月30日(日)17時49分

【コラム】次世代ゲームの基準 - プレーヤーの選択

徐々に姿を見せつつある次世代ゲーム機に期待するゲームの進化とは?Game Informer記者がコラムにまとめています。

Xbox 360とPS3が刻々と引退に近づくにつれ、ゲーマーたちは次世代機の可能性を夢見るという古くからの伝統に参加し始めた。Unreal Engine 4のデモンストレーションや「対応機種未定」といった文字が、古臭くなった今世代ゲーム機から次世代機はどのくらい進化するのか、という我々のファンタジーに油を注ぐ。

これまで、次世代機の進化はポリゴン数や解像度で判断されてきたが、テクノロジーが複雑さを増すにつれ、そうした判断基準は無意味になっている(「テラフロップ」という言葉の意味など知らないし、知りたいとも思わない)。次世代ゲームのクオリティの進化を判断するにあたり、私が興味深く見守っているのは技術的な進化ではなく、プレーヤーの選択を取り入れたゲームプレーの進化の方だ。

あらゆるゲームに物語が必要なわけではないが、物語を語るゲームの場合、多くが映画やテレビドラマを真似ている。これは実に勿体無く感じる。予め決められた物語というのは、プレーヤーの干渉というビデオゲームの基本的な土台と矛盾するものだ。そうした枠組みの範囲内で、興味深いキャラクターや練られた物語を用いて我々を楽しませることに成功しているデベロッパーも存在するが、仮にそうしたキャラクターや物語に、プレーヤーである私が何一つ影響を及ぼすことができないとしたら、物語自体が全く個別の存在と化してしまう。私のパフォーマンスや選択には何の意味もないのだから、ゲームプレーを補完するタイイン・コミックやオリジナルDVDでも買った方がマシというものだろう。初めて登場した時には革命的だったかもしれないプリレンダ・カットシーンやQTEも、今では物語とゲームプレーを融合させる際の安易な解決策と見なされるようになった。プレーヤーの干渉を許さないストーリーテリングが内包する問題への批判は、避けられないように思える。

ゲーマーたちは既にビデオゲームの物語により深く関わることを求めており、そうした要求に応えるゲームを褒め称えている。『Mass Effect』シリーズが賞賛されたのは、そのプレーヤー主導型のストーリーテリングが要因であり、変わり映えしない『Mass Effect 3』の複数のエンディングに対する怒りの声は、選択の重要さ(と同時にハードコア・ゲーマーの移り気な性質)を逆説的に証明するものだ。

更なる証拠が必要なら、Telltaleの『The Walking Dead』を見るといい。エピソード形式の『The Walking Dead』は、いわゆる「ゲーム」ではないにもかかわらず、高い評価と共に商業的成功も収めている。アドベンチャーというジャンルであるとはいえ、『The Walking Dead』にはいわゆるゲームプレーやパズルも登場しないが、プレーヤーは自らの物語を語ることができ、生死を左右する決断が次から次へとプレーヤーに襲い掛かってくるのである。そんなシリーズに、ゲーマーたちは大喜びのようだ。

1834.jpg『The Walking Dead』

魅力的な物語などなくとも、プレーヤーの選択に重要性を持たせることはできる。好きな場所に行き、好きなことができる選択の自由をプレーヤーに与えることで、その体験を支配しているという感覚を植えつけることが可能になるのだ。私にとって、『Skyrim』の物語は「意地悪なドラゴンが郊外を荒らして回っている」程度のものでしかないが、細部まで凝りに凝った世界を自由に探索することができる。今世代、オープンワールド・ゲームの自由度は大幅に進化したが、一本道のゲームも幅広いゲームプレーを持ち込むことで、ガチガチのスクリプト演出ストーリーラインをより許容できるものに昇華している。『逆転裁判』や『Final Fantasy』といった、ガチガチのスクリプト演出ストーリーライン自体がメインのゲームですら、自由度の高いゲームプレーの恩恵を受けることができるはずだ。

次世代ゲーム・エンジンのデモは、まだまだビジュアルの進化は可能であることを示しているし、大手スタジオはそうした方向性を推し進めている。だが、私が次世代ゲームに期待するのはグラフィックではなく、「どんなことができるのか」という点だ。自分の物語を語ることができるのか、それとも指示に従う単なる俳優でしかないのか?生命が息づくバーチャル世界なのか、それとも私が閉じ込められた通路の外には何も存在しない世界なのか?そうした疑問の答えを提供してくれる次世代ゲーム機の登場を、私は我慢強く待ち続けている。

[ソース: Game Informer]

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