2012年10月11日(木)15時35分

【コラム】終わりからは程遠い日本ゲーム業界

日本のゲーム業界の凋落を語る論調が一般的になっている中、そうした見方は的を射ていないとするコラムをGamasutraが掲載しています。

ここ最近、特に一般的に不振と見なされたTGS以降は、コンソール・ゲーム開発の大御所としての日本の運命に関する記事を見かけるようになった。『Street Fighter II』のプロデューサー岡本吉起氏ですら、もはや望みはないとまで考えるに至っている。

今世代コンソールでは、欧米のゲームが急上昇し、日本製ゲームは王座から転げ落ちてしまった。かつてのようにチャートを独占できなくなったというだけではない。客層やテクノロジー、競争相手といった問題が、1980年代から2000年代初頭までコンソールのゲーム開発を牛耳ってきたキングを、プレーヤーやメディア、そして業界自体から消し去ってしまった。

多くの人が、日本のゲームが通用しないのは、日本のゲーム業界にはもう創造性が残されていないからだ、という立場を取っている。これ自体矛盾していると感じるが、人々は見当違いの場所に注目しているために、そうは行かないのが現状だ。

日本の真の弱点は、適応力の欠如だ。これは罪でも驚きでもない。今世代の状況を予期する知識やスキル、テクノロジーを備えた日本のデベロッパーは殆ど存在しなかったからだ。

1国だけでなく、欧米全体と比較されてしまうのも、日本にとって不利なことだ。アメリカ、カナダ、フランス、イギリスといったコンソール・ゲーム開発大手をまとめて相手にすることになるのだから、フェアな戦いにおいてはどうしても見劣りしてしまう。

かつてはフェアな戦いではなかった。今世代に入って起きた地殻変動は、何もテクノロジーだけではない。ゲーム業界は長年2分化された状態にあり、優秀な欧米のデベロッパーの殆どはコンソール開発から締め出されていた。だが今世代に入って流れがクロスし、PCゲーム開発で豊かな歴史を持つデベロッパーたちが、『Call of Duty: Modern Warfare』や『BioShock』といったゲームで本格的にコンソールに参入を始めたのである。一方、Naughty DogやQuantic Dreamといったデベロッパーはゲームのクオリティを劇的に上げ、異なる角度から日本を凌駕した。

突如として、新鮮なアイデアや予期せぬ選択肢を持ったゲームが数多く登場することとなった。そうしたゲームは文化的にも欧米ゲーマーの好みにマッチしており、最終的には、彼らの好みも変化し始めた。一方、新規ユーザーは新しい状況を謳歌することとなった。

こうした議論があまり考慮しないのは、日本にゲーム開発のクオリティが残されているのかという点だ。もう昔とは違うという点は既成事実と化している。『Final Fantasy XIII』『Ninja Gaiden 3』、そして最も最近の例では『Biohazard 6』が犯した大きなミスによって、日本のデベロッパーは方向性を見失っており、世界レベルでは競争できないというイメージが固定してしまった。

695.jpg『Ninja Gaiden 3』

この3本を例に挙げるなら、反論は難しい。どのフランチャイズも、かつては業界の頂点に君臨していたにも関わらず、今では大きく後退してしまったからだ。

だが、この3本が日本製ゲームの全てではない。競争が激化する大作市場において競争力を保とうと努力する、そして失敗しつつある、日本のデベロッパーの単なる一例に過ぎない。そうした考え方が彼らを駄目にしたのだ。

現実を見てみよう。日本のゲーム業界は欧米に関して自らを追い込んでしまった。多くの開発スタジオにとってテクノロジーは未だに問題となっており、小規模のスタジオにとって問題はより深刻だ。これが、VitaよりもPSPや3DSが成功を収めている大きな要因となっている。多くの日本のデベロッパーは、未だに今世代テクノロジーを固めることができていない。

人材の問題もある。世代の移行期に存在した大手独立系は殆どなく、著名なスタジオはどこも非常に小規模だ。今世代ゲーム開発のサイズにまで人材を拡張できる独立系スタジオは、クリエイティブ・ビジョンを追求する権限のない下請けに過ぎない。

世界市場で競争力を保てるだけのクオリティの今世代ゲームを開発するには、日本国内の売り上げだけでは十分ではないという問題もある。そして、モバイル市場も急速に伸びている。

もしかしたら、そういう運命だったのかもしれない。

私は、日本のゲーム業界はこの新たな状況で競争力を維持するのに適していないのではないかという意見を持っている。だからといって競争力のあるゲームを開発することは不可能という意味ではないが、それはあくまで例外だ。

それは明らかである。

日本の凋落を語る時に見過ごされがちだと感じる、非常に重要なポイントがある。それは、今世代最高の日本製ゲーム、最も売れたゲーム、最も高く評価されたゲーム、そして隠れた名作たちは、欧米で開発されたどんなゲームとも堂々と肩を並べることができるものばかり、という点だ。特に目立つ「クソゲー」が幾つかあるからといって、日本から優秀な才能が全て消え去ってしまったわけではないのだ。

ちゃんと注意を払っているかな?

何も見逃さないように、だ。私はそうしてきた。私は日本製ゲームで育ってきたし、今でも日本製ゲームが一番好きだ。この6年間には予期せぬ傑作に遭遇することも多かったが、私は常に日本に注目し続けてきた。

そこで、今回は日本の現状を分かち合いたいと思う。創造的、商業的に日本のデベロッパーが駄目になったという議論には必ず「ただし任天堂は除く」という但し書きが添えられるので、私も任天堂の内部スタジオが開発したゲームは省くことにした。そのせいでリストの作成が難しくなると思うかい?そうでもない。

以下に挙げたゲームの凄さを語る(実に容易なことではある)のではなく、あえて逆の意見を述べてみたいと思う。

更に、このリストは欧米でも発売されているゲームだけなので、自らの目で簡単に確かめることができるはずだ。

『Bayonetta』
4160.jpg『Bayonetta』

大きく異なる我々の好みについて、長年の友人である同僚のジャーナリストと議論したことがある。今世代最高のゲームの一つとして私がPlatinum Gamesの『Bayonetta』を挙げると、彼は「変すぎて無理」と言った。

いつからそんな言い分がアリになったのか?変なのは悪いことなのか?あのゲームには個性がある。必死で個性を排除しようとしているゲームだらけに見える業界において、個性があるのは悪いことなのか?

「変すぎる」とは随分と頭ごなしな言い分だ。セガの歴史に対する敬意に、大袈裟なカットシーンを融合させた、奇妙で風刺的なゲームであると同時に、今世代最高の近接格闘アクション・ゲームでもある。奥が深く柔軟で多様性に富み、様々なゲーム・デザインを駆使してプレーヤーに挑戦を挑む手応えのあるゲームなのだ。

『Assassin’s Creed III』のクリエイティブ・ディレクターAlexander Hutchinson氏は先日、「文字通り意味不明」な『Bayonetta』の物語が許されるのは、ジャーナリストの差別意識が原因であると語った。

これは実に奇妙だ。クリエイティブなはずの人間が、クリエイティビティを良しとしないのだから。更に驚かされるのは、近接戦闘に特化したシリーズに関わっている人間なら、意味不明かどうかに関係なく、『Bayonetta』が今世代最高のゲームであることに気付くはずだという点だ。でも、まあいいさ。

『Dark Souls』

今世代で最も優れたゲーム・デザインを持つ『Dark Souls』は「非常に欧米的」だから「カウントしない」と主張する人を見たことがある。

『Dark Souls』のゲーム・デザインに、日本のDNAは一切含まれていない、というのである。

これらから直接の影響を受けたかどうかは証明できないが、『悪魔城ドラキュラX 月下の夜想曲』や『ベイグラント・ストーリー』のゲーム・デザインにはその片鱗を垣間見ることができるはずだ。世界構築に対する『Dark Souls』のアプローチは『Super Metroid』のものであり、戦闘や敵のデザインは欧米のゲーム、例えば『Skyrim』などとは劇的に異なるものだ。スタッツを上げていくのではなく、戦術やスキルをベースとしたアクションに重きが置かれている。

ダークな中世ファンタジーという世界設定が人々の誤解を生んでいるのだろうが、日本にも文学やアニメーション、ゲームを通して、こうした世界観を楽しんできた伝統がある。こうした要素が欧米での成功に一役買ったのは確かだが、だからといって欧米製のゲームに近いということには全くならないだろう。

『The Last Story』
1478.jpg『The Last Story』

今世代の始めには、「日本のデベロッパーは欧米から学ぶべき」というフレーズを良く耳にした。それが今では、「彼らには無理だ」という独善的なフレーズへと変化している。欧米作品からアイデアを借用しようと試みた『Ninja Gaiden III』の失敗以降、Team Ninjaの早矢仕洋介氏は、挑戦すらすべきではないという結論に達している。

だが、本作は挑戦するのは良いことであるという証拠だ。これがMarvelous AQLのやり方なのだろう。開発を率いた松本卓也氏が言うように、卑屈に欧米をコピーするのではなく、開発チームは例えばストーリーテリングのテンポを上げるための独自のアイデアを持ち、彼は毎年E3を訪れるたびに、『Uncharted』などのゲームが切り開いた先駆的な方法論と照らし合わせていったという。

その結果、カットシーンの中だけでなく、戦いを共にしたことから絆を深めていくゲームに仕上がった。大袈裟なストーリーテリングが長年こき下ろされてきたジャンルにとって、これは驚くべき偉業だろう。

魂を維持しつつも歩調を乱さなかったゲームであり、私に言わせれば、これがWii最後の注目独占ソフトではなくPS3やXbox 360で発売されていたら、高い評価と共に好調なセールスを記録していただろう。仮に『Final Fantasy』のロゴが付いていたら、スクエア・エニックスによる今世代唯一の傑作と賞賛されていたはずだ。

『新・光神話 パルテナの鏡』

日本の古典的ゲーム・デザインはもはや柔軟性に欠き、楽しくなくなってしまったという主張も目にする。Project Soraの『新・光神話 パルテナの鏡』は、そうした主張をいとも簡単に打ち砕く。本作は欧米のデザイン・コンセプトを完全に無視しているわけではなく、アーケード風のシューティングと欧米風の3人称シューターを融合させているが、最終的には実績のあるゲームプレー・メカニックと、『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズの生みの親である桜井政博氏の専門分野に落ち着いている。

アーケード風のシューティングと地上での打撃戦闘を融合させた、『Panzer Dragoon』と『Devil May Cry』を足したようなゲームである。しかし、そうした文脈にありながらも新鮮かつ独創的なゲームであり、シューター要素を盛り込みつつ、物語を2転3転させ、クールであれば方向性を180度変更することも恐れていない。素晴らしいオンラインプレーも付いている。クールなプラットフォームではない3DSのゲームだからか、見過ごされているゲームではあるが、携帯機こそ日本のデベロッパーが光るプラットフォームなのだ。

『Tokyo Jungle』
782.jpg『Tokyo Jungle』

「日本は欧米から学ぶべき」という議論のコインの裏が本作だ。『Tokyo Jungle』は、技術的には稚拙であり、コンセプトは奇妙、ゲームプレーは流行を後追いしているに過ぎないにもかかわらず、ゲームプレーとテーマの強みによってカルト・ヒットとなった。Crispy’sの面々は、自分たちのやりたいことをやり遂げ、その結果成功を収めている。国籍に関係なくデベロッパーにとって良いことだが、2012年の日本では不可能だと広く信じられてきたことだ。

『Kingdom Hearts 3D: Dream Drop Distance』

日本のゲーム?もう誰も買わないよ!2012年8月にアメリカで2番目に多く売れた、『Kingdom Hearts 3D: Dream Drop Distance』以外は。どうやら、人々は日本のゲームが好きなようだ。優れたゲームならば。

どれだけ多くのアニメを見ようと、どれだけディズニーを愛していようと、『Kingdom Hearts』の物語は真剣に受け止めるのが極めて難しいが、ゲームとしては極めて良くできていて、極めて日本的である。1990年代から日本のゲーム・デザインの中核を成してきた、テンポが速く流れるようなアクションと、ペットの成長を中心にしている。

人々が無視し続けてきた間にも、シリーズの開発を担当するスクエア・エニックス大阪は、底の浅さで悪名高かったフランチャイズを、突出したゲームプレーを持つゲームに着実に育て上げてきたのだ。

『イナズマイレブン』
5131.jpg『イナズマイレブン』

欧州と日本で人気を博しながらも北米では発売されていない『イナズマイレブン』は、非常に興味深いフランチャイズだ。RPGとスポーツ・ゲームを融合させることで、戦略的サッカーRPGを作り上げている。日本のデベロッパーには新しいアイデアなどないという批判を論破する作品だ。

同時にオリジナル・フランチャイズの強みを証明するゲームでもあり、Level 5はこのフランチャイズを基に独立スタジオを設立し、4本のDSソフトと3DSソフトをリリース。うち2本はこの夏に欧州でも発売されている。

更に、映画タイイン・ゲームではなくオリジナルの新規タイトルで子供にアピールすることの強みを、『イナズマイレブン』は証明している。欧米のデベロッパーは、そのやり方を完全に忘れてしまったようだ。コンソールのデベロッパーが『Angry Birds』に敗北を帰した理由の一つだろう。普通は逆だが、『イナズマイレブン』はアニメ化までされている。欧米の子供向けゲームが最後にアニメ化されたのはいつのことだろうか?

『NARUTO−ナルト−疾風伝 ナルティメットストーム』

原作よりも美しい版権ゲームがどれだけ存在するだろうか?CyberConnect 2による本作は、原作よりも美しいだけでなく、驚異的なまでのディテールへのこだわり、息を呑むほど美しいキャラクターのアニメーションなど、今世代で最も美しいゲームの一つでもある。このシリーズに注がれた洗練とスキルは驚異的であり、その類稀なビジュアル・センスを考えれば、CyberConnect 2がCG映画にまで進出したのも驚きではないだろう。私のように『ナルト』を見ない人も、本作には要注目だ。

『Xenoblade ゼノブレイド』

日本のRPGは、業界で最も革新性がなく退屈だと見なされている。あとは落ちていくばかりである、と。JRPGのファンとして、過去20年に発売された豊かでやりがいのあるゲームを大量に挙げることもできるが、最近大きな躍進を遂げたのは、『Persona 3』と『4』だけのようだ。

『The Last Story』同様、『Xenoblade ゼノブレイド』も登場が少々遅すぎた。私が本作を推薦した時、「SD?勘弁してくれ!」「もうWiiは売っちゃったよ」と何度言われたか分からない。

これはとても残念なことだ。なぜなら、『Xenoblade ゼノブレイド』はJRPGに対する批判の多くを論破するゲームでありながら、壮大だがパーソナルな物語、風変わりで多種多様なキャラクターたち、キャラクターの成長と戦略的バトルといった、JRPGの強みを活かしたゲームなのだから。

強力な一本道ストーリーテリングを持ちながらも、プレーヤーの自由に基いている。ワイルドで広大な世界でありながら、移動は簡単。開発費の高騰と共に世界観を縮小するゲームが多い中で、である。

2292.jpg『Xenoblade ゼノブレイド』
『勇者30』

日本のデベロッパーは世間知らずだ、という『Biohazard 6』のようなゲームによって決定付けられたミームも存在する。自分たちの作るゲームがどれだけ馬鹿げているか全く自覚がない、と。

丁度Steamでも配信されたばかりのMarvelous AQLによる『勇者30』は、そんな主張に真っ向から反論する。『勇者30』は、JRPGというジャンルを巧みに批判しながらもJRPGであり続けているゲームで、言い換えれば愛のある風刺であり、知的であると同時に純粋な楽しさに満ちている。テンポの遅いジャンルを、忙しいアーケード・ゲームに仕上げているのだ。素晴らし過ぎるほどである。

『毛糸のカービィ』

このゲームに関してはいくら褒めても褒め足りない。私が一番気に入っている今世代ゲームの一つだ。それでも、ゲームの質と本作をプレーした読者数の比率では、このリストの中でも最低なのではないだろうか。恐らくは今世代最高の2Dプラットフォーマーであり、文句なく最も美しいゲームである。

本作は、布や毛糸の世界というコンセプトを徹底している。独創的なビジュアルとディテールへのこだわりは、それだけでも驚異的だ。だが同時に、布や毛糸の世界観にマッチするようゲームプレーを頻繁に変化させており、ゲーム・デザインの観点からも研究に値するだろう。シンプルさが想像力を掻き立てるゲームで、難易度が低くても楽しいゲーム、シンプルでも満足感を与えるゲームを作ることは可能であり、優秀な開発チームの手にかかれば、一見底が浅く見えるデザインに深みをもたせることはできるということを証明している。

3226.jpg『毛糸のカービィ』

これは全てを網羅したリストではない。『レイトン教授』シリーズや『極限脱出 9時間9人9の扉』といったゲームは、グラフィカル・アドベンチャーのようなやり尽くされたジャンルに新たな命を吹き込んでいるし、『世界樹の迷宮』シリーズは名作であるというだけでなく、長らく死滅状態にあった1人称ダンジョン潜りゲームというジャンルを完全に復活させてみせている。

最近Vitaに移植されたばかりの『王様物語』は、人を引き付ける魅力を秘めたストラテジーの隠れた傑作だし、ゴージャスな『ペルソナ4 ジ・アルティメット イン マヨナカアリーナ』は格闘ジャンルに新機軸をもたらしている。8ビット・ゲームのコレクションをメタなストーリーテリングで包んだ『ゲームセンターCX 有野の挑戦状』は、私の言葉では説明することなど到底不可能なくらい素晴らしい傑作だ。

結論は?

『逆転裁判』や『大神』のプロデューサーとして知られるPlatinum Gamesの稲葉敦志氏が、Edgeとのインタビューで残した言葉が最も的を射ている。

稲葉敦志: 日本のゲーム・デベロッパーを全て一緒くたにして語る傾向は気に入らない。正直な話、悪い冗談だよ。何が分かるっていうんだ?日本に酷いゲーム・デベロッパーが数多くあるように、欧米にも酷いデベロッパーがたくさんあるんだ。全てを一括りにしてしまうのは無意味だよ。

それこそが私の言いたいことだ。スクエア・エニックスやカプコンといった大手デベロッパーが足を踏み外したからといって、それが日本のゲーム開発の全てに当てはまるわけではないのである。実際、目玉フランチャイズ以外では、そうした会社ですら素晴らしいゲームを送り出し続けている。大作主義と油断が彼らを押しつぶしたのだ。

今世代への移行は誰にとっても厳しいものだったが、PS2をメイン・プラットフォームとし、PCのアーキテクチャを理解せず、柔軟さに欠けるワーク・プロセスを持ち、日本のゲーム市場が縮小して開発費が膨れ上がる前までは、国内での売り上げに頼り切ってきた日本にとっては、特に厳しいものとなった。そしてカプコンを除けば、日本はXbox 360に全く何も期待していなかった。日本のゲーム業界は、完全に不意を突かれたのだ。

『Biohazard』や『Final Fantasy』といった、素晴らしいフランチャイズの苦戦を目にするのは悲しいことだ。独立系スタジオが一発当てようと奮闘する欧米と異なり、こうした行為を快く思わず潰しにかかるゲーム業界や日本文化の特異性には落胆させられる。だがそれでも、優れたゲームは存在する。上で挙げた11作品以外にも、独特の良さを持ったゲームを延々と挙げ続けることもできるのだ。

[ソース: Gamasutra]

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