2012年12月15日(土)02時59分

『BioShock Infinite』インタビュー - Ken Levine氏が語る歴史観や人種差別

ken-levine2.jpgKen Levine氏

Irrational GamesのKen Levine氏がPC Gamerのインタビューに応じ、『BioShock Infinite』における歴史観や人種差別といった問題について語っています。

▼ 『BioShock Infinite』の舞台であるColumbiaはある意味、アメリカの歴史の暗部を露にするような舞台設定だと感じます。あなた自身、もしくは『BioShock』は、シニカルで批判的な歴史観を持っているんでしょうか?

Ken Levine: アメリカの歴史を学んだ者として見ると、Columbiaで繰り広げられる物語は非常に矮小化されたものだが、アメリカの歴史を包括することがこのゲームの目的ではないし、そのような責任もないと思っている。Columbiaには、カリスマ的な宗教運動や増しつつある国粋主義といった、当時の流行を取り入れているのは事実だ。それに関しては以前話したから、また同じ話で退屈させるようなことはしないよ。それに、セオドア・ルーズヴェルトといった当時の著名時の著述を読めば、制度化された人種差別や階級差別が厳然として存在していたことも分かる。セオドア・ルーズヴェルトは当時としては極めて進歩的な人物で・・・「進歩的」といっても「Fox News対MSNBC」といった意味ではないよ。彼は、スタンダード・オイルのような大企業を解散させた反トラスト法に関わっていたし、貧困層の権利のためにも戦った人物だ。だが同時に、彼はいわゆる「ネオコン」でもあった。アメリカの世界覇権拡大に熱心だったし、いわゆる「寛大な保守主義」とでも言うべき彼の著述を読むと、ユダヤ人やアフリカ系アメリカ人をこれ以上ないほどひどく罵っていたりもした。あくまであの時代の人間なんだ。エイブラハム・リンカーンの著述を今読んで、彼を糾弾するかい?彼は史上最も重要な奴隷制廃止論者であり、素晴らしい人物だが、そんな彼にしてもあの時代の人間だ。彼はアフリカ系アメリカ人を下等な人種と見なしていた。ただ自由になるべきだと思っただけなんだ。トマス・ジェファーソンは奴隷を所有していた。ジョージ・ワシントンも奴隷を所有していた。そうした人物たちの時代を舞台にしたゲームなのだから、これらの要素をゲームに盛り込まないのは、不誠実だと思うんだよ。

『BioShock』にはマイノリティが登場しないということにも気が付いた。ユダヤ人や東欧系ユダヤ人は登場したが、これは恐らく私の背景が理由だろう。RyanにしろTenenbaumにしろね。それにあのゲームには、移民の経験が詰まっている。しかし、アフリカ系アメリカ人は登場しないし、中国人も登場しない。だから、多様性を持たせることが大切だった。現実を反映させるために多様性を持たせようというのではないんだ。現実を反映させたいとは思っているが、その現実というのは、殆どの人には理解できない特定の現実なんだ。殆どの人は、カソリックやアイルランド人がこの国でどう見られていたのかを知らない。彼らは・・・これは当然ながら私の言葉ではないが、一部の人からは人間以下だと見なされていたんだ。1960年に初のカソリック系大統領が誕生した時、多くの人が法王の手先だと思っていた。わざわざ公の場で否定しなければならなかったほどだよ。我々は今という時代に生きることができて幸運だと思うが、そういった要素も盛り込まなければ、誠実なゲームとは呼べなくなってしまう。

▼ そういった面では、アメリカ人以外が『BioShock Infinite』をプレーした場合、アメリカ人とは違う体験になると思いますか?

Ken Levine: つまるところ・・・そういった要素がどのような形でゲームに登場するのかを語るのは難しいんだ。「外来の要素」というのではなく、君が言うところの主題的な要素の話だ。予想とは違うところで出てくるかもしれないからね。必ずしも想像するようなテーマのゲームではない可能性もあるということだ。同様に、『BioShock』も客観主義への批判がテーマのゲームではなかったんだ。全く別物だよ。実際、そういったtweetを受け取るんだ。『BioShock Infinite』の開発を始めた頃、親戚が非常に気分を害したというんだ。ティーパーティー運動を非難するゲームだと思ったらしい。その親戚は、ティーパーティー運動に尽力していたからね。その後、Vox Populiの存在を明らかにした時は、左翼系のサイトが「労働運動への攻撃だ!」と煽った。とても遺憾なことだが、Stormfrontという白人至上主義サイトで「ユダ公のKen Levineが白人殺しシミュレーターを作ってるぞ」という書き込みまで目にしたことがあるよ。

▼ 酷いですね。

Ken Levine: 『BioShock』も同じだよ。客観主義者が怒り狂う一方で、左寄りの人たちは客観主義へのラブレターだと思ったようだ。私にとって、これらのゲームはロールシャッハ・テストのようなものだ。大抵はネガティブ・ロールシャッハで、それを見て怒り狂う。こうしたゲームはある意味・・・主題があるとすれば、それは一つの見方に縛られるな、というものだよ。自信の喪失とでも言うかな。特定の考えを非難するような物では決してない。誰かを批判するわけではないんだ。アメリカの実験は大成功を収めたポジティブなものだ。民主主義という考えは最も・・・「世界最悪の政治システム、ただし他のあらゆるシステムを除く」という言い回しがある。世界中に浸透した考え方で、建国の父たちは崇拝されている。

だが色々な意味で、私から見たトーマス・ジェファーソンというのは・・・トーマス・ジェファーソンやベン・フランクリン、ジョージ・ワシントンのような、権力を共有するシステムを作り上げる先見の明を持った裕福な男たちは、どのようにして生まれたのだろうか。ワシントンという人物は、王の座を提示されたにもかかわらず、彼はそれを蹴って大統領に就任しただけでなく、1期で退任して実験全体の基盤を作り上げたんだ。まるで神のような、自信に満ちた行動だ。だが彼らは人間でもあり、欠陥だらけだった。奴隷を所有していたし、彼らの多くは、現代で言うところの白人至上主義者だった。我々が嫌悪するようなことも数多く行ってきた。100年後の人々も、我々の行いを見て同じように思うだろうね。今から100年後の人々は、我々のどんな行動に嫌悪感を覚えるのだろうか、といつも考えているんだ。我々も進化はするが、あくまで今という時代の人間だからね。

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▼ 『BioShock』の中に自らが見たい思う悪を見るというロールシャッハ・テストについてですが、あなた自身は社会問題や歴史上の問題を扱ったゲームが増えることを望んでいますか?そうした題材を扱ったゲームは十分な数だけ存在すると思いますか?

Ken Levine: いいや。トム・ストッパードを知っているかい?私は『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』を書いたトム・ストッパードが大好きなんだ。彼の『アルカディア』という舞台を見たんだが、これは2つの場面に分かれていて、最初は200年くらい昔のイギリスの邸宅が舞台。彼らは庭園を造っていて、しっかりとした構造のある、イギリス風の庭園にするか、より自然で有機的な庭園にするかを議論している。次の舞台は現代の同じ邸宅だが、テーマはカオス理論なんだ。それぞれの時代の議論が行われているというわけだ。同じ役者が似たような役柄を演じていて、結局は同じテーマだと気付く。つまり、何かをコントロールすることはできるのか?というテーマだ。我々には管理できない変数が存在するということだね。整理された庭園か、有機的な庭園か。最初は私も「ガーデニングの話を3時間も見させられるのか?」と思ったものだが、見終わった後には、こんな奇抜な発想をこれほど思慮深い傑作に仕上げてしまうなんて、私と同じ人間とは思えないと感じながら劇場を後にしたものだよ。とにかく中身の濃い、ああいった多面的な作品が大好きなんだ。

ゲームが少しだけ大変なのは、テクノロジーを完成させて楽しいゲームプレーを仕上げなければいけないからだ。彼は基本的に戯曲を書いて、その枠内で成立させれば済む。ゲームはそれ以外の要素が極めて多い。テクノロジーがどれだけ進化しようと、大変なことに変わりはないんだ。常に性能の限界に挑戦することになる。PCだろうと360だろうとPS3だろうと、性能を最後の一滴まで搾り取る戦いなんだ。それには物凄いエネルギーを消費する。例えば、Elizabethは技術的な発明だが、彼女には本能がない。舞台の上に立たせた俳優には、予めソフトウェアが込みこまれているようなものなんだ。どうすれば良いか大抵のことは最初から理解している。どんな大根役者だって、部屋を横切ってテーブルの上からカップを手に取る方法は知っているだろう?でもElizabethは完全に白紙の状態なんだ。彼女の行動の全ては、我々が作り上げなければならない。

とにかく、白紙の状態から作り上げるものが沢山ある。物語にしろ、比喩を盛り込むにしろ・・・大変だよ。Take-Twoは実験的な作品に極めて協力的なんだ。それも、大量の予算を投じた実験作だよ。映画にしろなんにしろ、そういった会社は数少ない。ケーブルTVが一番近い存在だろうね。ケーブルTVは『マッドメン』のような実験的な作品をサポートする。成功の予測が立ちそうもないような作品をサポートするのはリスキーだし、お金も掛かる。そういった作品のクオリティを信じてサポートするという意味では、似ているだろうね。『BioShock』を振り返って「失敗した客観主義についてのゲームに、よくあれだけの大金を投資してくれたものだ」と思うことがある。狂っているよ。

▼ 元気付けられますか?『BioShock』以降、ゲーム業界への思いに変化は?

Ken Levine: ゲーマーというのは、我々が・・・「ハードルを上げる」という言い方はしたくないな。だが、昔から私はゲーマーは過小評価されていると信じているんだ。私がゲーム業界に足を踏み入れた時には、「人生で出会ったことがないような頭の良い人間だらけだ」と感じたものだ。Looking Glassという会社に入った時には、周りはMIT出身の人間だらけで、自分が馬鹿みたいに思えたよ。あれだけ知的な職場に入れたのは、とてもスリリングだった。

ゲーマー、特に年齢の高いゲーマーがゲームにのめり込んだ理由の一つは、我々がはみ出し者だからだと思っている。他の人が興味を示さないような奇妙な物が好きなんだ。エンターテイメントの人口分布図でゲーマーを見れば、知的レベルは非常に高いはずだよ。にもかかわらず、ゲーマーが好むであろうとされているコンテンツのレベルは、テレビなどよりも低いはずだ。どうだろうな。午後に放映しているリアリティ番組などを見ると、そうとも言えないかも知れない。でも、『マッドメン』や『ブレイキング・バッド』のようなゲームを作る機会はそう多くない。『BioShock』は、色々な面で本能に訴えかけるような、テンションの高いゲームだった。知的な部分もあれば、そうではない部分もある。Skylineに乗るのはクールなんだ。戦闘がとにかく楽しい。私はゲーマーでいることを恥じていないよ。私は思慮深いゲームも好きだし、バカっぽいゲームも好きだ。爆発を見るのも好きだしね。好きなものが多いんだよ。『BioShock』の開発が楽しいのは、そういうこと全部を同時にできるからなんだ。

[ソース: PC Gamer]

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