2013年03月24日(日)10時00分

【コラム】武器を下ろせ - 戦闘のないゲームの時代

2364.jpg『Portal 2』

大作ゲームがアクション重視になる一方で、全く戦闘のないゲームが人気を集めている現状を、Eurogamerがコラムにまとめています。

E3では毎年、同じような感傷――「今までで最低のE3だ」――を数え切れないほど耳にする。そのジャーナリストが自分の仕事に疲れ果てているだけのこともあるが、このような倦怠感は全般的に、業界が大作アクション・ゲームで溢れているという見方が切っ掛けになっている。

E3のようなトレード・ショーに行くと、周りは宇宙海兵隊やゾンビ、ドラゴンが出てくるゲームのための派手なブースだらけ。パッと見、ゲーム業界はその焦点をぴょんぴょんと跳ねる小太りの配管工から、根性と銃へと移行させただけのように見える。ゲーム界でも一番のオタク向けマスコット――Lara Croft――でさえ、パズルを解かずに大量殺戮を繰り広げるようになってしまった。あのシリーズが墓荒らしをメインにしていた時代を憶えているかな?

ゲームが暴力的過ぎるというわけではなく(私は暴力的過ぎるとは思っていないが、それはまた別の議論だ)、あまりに多くのゲームが同じ方向性を目指していることが問題なのだ。それではすぐに飽きてしまう。あらゆるパブリッシャーが”よりデカく、より凄く、よりド派手”な続編で他社を圧倒しようというデジタル拡張競争が進行中なのは明らかだが、もうユーザーはそういったゲームを望んでいない転換期に来ていると私は感じている。戦闘を一切交えなくとも、ユーザーを虜にすることはできると気付いたデベロッパーも少なくない。

2年前、Eurogamerの記者は『Portal 2』を「極めて重要で、実質的に戦闘が存在しないメジャー作品でもある」と表した。これは当時注目すべき事態だった(大作パズル・ゲーム?狂ってる!)が、私は『Portal』がただの例外には程遠い存在であったことに喜びを隠せない。むしろ、前兆だったのだ。

1072.jpg『風ノ旅ビト』

昨年は、3本のゲームが多くの賞レースを席巻した。それは、『The Walking Dead』『Fez』『風ノ旅ビト』の3本だ。素晴らしいことに、うち2本――『Fez』『風ノ旅ビト』――には全く戦闘が含まれておらず、『The Walking Dead』も戦闘が占める割合は僅か1%ほど。にもかかわらず、この3本は『Mass Effect 3』や『Black Ops 2』、『Dishonored』といった超大作を抑えて賞をさらっていったのである。

このような戦闘のないゲームは、批評的な成功だけでなく商業的にも成功を収めている。今年1月の段階で『The Walking Dead』は850万エピソードの売り上げを記録し、4000万ドルを稼ぎ出した。『風ノ旅ビト』は発売した月のPSNチャートでトップの売り上げを記録し、凄いことに9ヵ月後の12月にもトップに返り咲いている。『Fez』はそこまでのヒット作ではないものの、それでも最初の数ヶ月で10万ダウンロードの売り上げを記録し、5月にSteamでリリースされた暁には、更に売り上げを伸ばすのは間違いない。こうした数字は特筆すべきものではないかも知れないが、『Dead Space 3』のような続編がチャートで苦戦していることを考えると、実験的インディ・ゲームと超大作の距離は縮まりつつある。

戦闘のない人気ゲームは他にもある。『Portal』シリーズ以外にも『Dear Esther』や『The Unfinished Swan』、そして『Thirty Flights of Loving』といったインディ・ゲームがそれなりのファン層を獲得しているのである。

記者のChris Donlanは、『Thirty Flights of Loving』に関して素晴らしい指摘をしている。『Thirty Flights of Loving』はプレーヤーに銃や銃弾を集めさせておきながらプレーヤーの期待を裏切り、アバターであるAgent Abelに画面外で銃撃戦を行わせ、プレーヤーは周囲を見渡したり酒を飲んでいるに過ぎないと評している。実際の銃撃戦を提供する――これは多くのゲームが既に行っている――のではなく、より嬉しいもの、つまりサプライズを提供する。ゲームから銃を取り払うことで、デザイナーのBrendon Chung氏はプレーヤーを引き込む他のやり方を発見したのだ。このゲームの場合は、簡潔で小粋なコミカル犯罪物語にプレーヤーを放り込むだけで充分だった。

より重要なのは、インディのアート系デザイナーだけではなく、バイオレンス・ゲームの歴史を持つ大手デベロッパーもこのような路線を選んでいるという点だ。『Bulletstorm』のクリエイテブ・リードであるAdrian Chmielarz氏を例に出すと、彼は罰当たりな血みどろゲーム『Bulletstorm』に続いて、Epicのチェンソー突っ込み前日譚『Gear of War: Judgment』を手掛けた後、自らが設立したPeople Can Flyを去ることを決断し、戦闘の少ない”奇妙な設定のホラー”ゲーム『The Vanishing of Ethan Carter』を作ることにしたのである。

ショッキングなほど暴力的な『The Darkness』や『The Chronicles of Riddick』、『Syndicate』で知られるStarbreezeも、おとぎ話のようなデジタル配信ゲーム『Brothers: A Tale of Two Sons』では、少なくとも一時的に銃弾と血飛沫から距離を置いている。『BioShock 2』などに関わった開発者たちが立ち上げたThe Fullbright Companyも、1人称探索ミステリー・ゲーム『Gone Home』を作るために設立されている。

一体何が起きているのだろうか?私はThe Fullbright Companyの共同設立者であるSteve Gaynor氏にコンタクトを取り、腕にドリルが付いた男が主人公の大作ゲームに関わった後で、戦闘が全くないゲームを作ろうと思い立った理由を尋ねてみた。

Steve Gaynor: 戦闘を上手く作るにはとてもお金が掛かるんだ。小規模のチーム(我々の場合は4人)では、大作ゲームに対抗できるほどの戦闘を作ることはできない。つまり、我々の希望とは関係なく、そもそも選択肢になかったんだ。インディの多くが同じ事情を抱えているはずだよ。それ以外の方法でゲームを面白くする必要がある。

とはいえ、戦闘を中心にしてしまうと、我々が扱いたかった物語や体験は作れなくなってしまう、という理由の方が大きい。『Gone Home』は、一般的な家を探索して、普通の人々の真実味のある日常のドラマを発見するゲームだ。幽霊もゾンビも連続殺人鬼もエイリアンも出てこない。平凡な日常というのは、無数の敵を倒す理由をこじつけなければならないゲームでは決して扱えないテーマだ。戦闘を排除することで、戦闘を含んでいては決して作れないゲームが可能になったんだ。

大手パブリッシャーでさえ、より共感し易い残虐性の少ないゲームへの欲求の高まりに気付いている。Jonathon Blow氏の1人称パズル『The Witness』のような風変わりなゲームが、PS4の大きな売りとして発表会で紹介されたのは特筆すべき事例だろう(直前に『Killzone』新作が紹介されていたとしても)。

ハッキリさせておきたいのは、バイオレンスと戦闘は明確に異なるものであるという点だ。戦闘がないゲームでも、『The Walking Dead』のように暴力的にはなりえる。『スーパーマリオ』のように、暴力的でなくとも戦闘を盛り込むことはできるのだ。そのどちらにも何の問題もないが、銃を撃ったり切り刻んだりするのが楽しいというだけの理由で、多くの人がゲームは暴力的であるべきだと考えがちである。もちろん、多くの場合それは正しい――私は『Hotline Miami』や『Revengeance』のようなゲームが存在しない世界は遠慮したい。だが、楽しいゲームを作る方法はそれだけではないし、普通の戦闘メカニックが存在しないというだけで、自動的に『FarmVille』のようなカジュアル・ゲームに格下げされるという時代は、いよいよ終わりを迎えつつある。

戦闘のないゲームが戦闘中心のゲームより本質的に優れているというわけではないし、アクション・ゲームやシューターは今後も存在し続ける(と私は願っている)――だが、批評家とユーザーはより多様化した体験に飢えているし、デベロッパーも挑戦に挑み始めている。トレード・ショーでの印象とは裏腹に、ゲーム業界はテストステロン主導の殺戮ファンタジーにどっぷりと浸かっているわけではないのだ。実際はその正反対である。

[ソース: Eurogamer]

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