2013年04月23日(火)04時52分

Quantic Dreamがビデオゲームの社会的地位にコメント「芸術として認識されることが重要だ」

guillaume-de-fondaumiere.jpgGuillaume de Fondaumiere氏

Quantic Dreamの共同設立者Guillaume de Fondaumiere氏がビデオゲームの社会的地位について語り、ビデオゲームが芸術的な文化的表現として認識されることが重要であるとしています。

Guillaume de Fondaumiere: ビデオゲームの本質に関しては、大きな混乱が存在すると考えている。ビデオゲームについてインターネットで調べると、大抵は暴力的で中毒性のあるものとされているが、文化的な存在、文化的表現と称されることは殆どない。

それは、この業界がまだ若いことが原因だと思っている。ゲームはオモチャとしてスタートし、子供や十代の若者をターゲットにしてきた。ビデオゲームは子供のものだ、という見方が今でも残っているのだろう。大人のためのものではない、とね。

かつては複雑な感情を喚起することが難しかったビデオゲームも、今ではより複雑な感情表現が可能になったとFondaumiere氏。

Guillaume de Fondaumiere: ゲーム開発者が年齢を重ねただけでなく、これまでとは異なる層を狙うようにになった。ゲームをプレーして育った人たちも今では大人になり、今までとは異なる種類のゲームをプレーしたがっているんだ。

ビデオゲームの可能性を広げたゲームとして、Fondaumiere氏は『Final Fantasy VII』『Ico』『Heavy Rain』『大神』『The Unfinished Swan』、そして『風ノ旅ビト』を挙げ、文学や映画と肩を並べる存在として認識されることが重要であると語ります。

Guillaume de Fondaumiere: 私にとっては、全てのゲームが文化的表現だ。あらゆる文学や映画とゲームを区別して扱うべき理由は何一つないと考えている。ビデオゲームの芸術性は増しつつあると思うし、文学や映画と同等に認識されるべき芸術形態になりつつあるんだ。

だが、芸術として認識されるのは重要なことだろうか?私は重要だと考えている。そう認識されることで、新たなビジネス・チャンスが生まれることにも繋がる。私がゲーム業界に足を踏み入れた20年前は、自分の職業を胸を張って大きな声では言えなかったが、今では自分はゲーム・プロデューサーだと言うことができる。この業界に新たな才能を引き入れるには、誇りに思えることが重要だ。私はこの15年間ほど、ハリウッドの優秀な人材と仕事をしようと努力してきたが、つい最近まで、「暴力や中毒性は我々のイメージを傷つける」と言って断られることが殆どだったんだ。

例えば、レオナルド・ディカプリオはかつてQuantic Dreamとの仕事に興味を持っていたものの、イメージが悪くなるという助言を受けて実現しなかったという。

Fondaumiere氏は、ビデオゲームの社会的地位を芸術形態にまで向上させることで、新たなビジネス・チャンスが生まれると同時に、業界の責任も重くなると語ります。

Guillaume de Fondaumiere: 当然、私は暴力的行動や中毒者的な振る舞いの責任がビデオゲームにあるとは考えていない。しかし、我々は自らの行いに慎重になる必要がある。我々の作品をプレーする人々が日に日に増えていることを理解しなければならないんだ。特に子供だ。我々には優れたレーティング制度があるが、我々の意図よりも下の年齢層がプレーしていることも知っている。だから、自らの作品にはもう少し責任感を持つべきなんだ。

だからといって、全てを甘んじて受け入れるべきではない。ゲームは長年にわたって文化的表現ではなくオモチャとして認識されているため、ゲーム内で表現できる暴力やセックス、エロチシズムには多くの制限が存在している。例えば映画よりもはるかに制限が厳しい。

こうした偏見を打ち破るには、開発者たちが内部から変えていくしかないとFondaumiere氏。

Guillaume de Fondaumiere: 我々は恐れずにクリエイティブにならねばならない。自らを文化的表現、芸術形態と見なすことは、業界全体がよりクリエイティブになる必要があるということを意味している。毎年のように同じゲームを作り続けているようでは駄目なんだ。新規IPを生み出すこと、つまりパブリッシャーがリスクを冒すと同時に、プレーヤーもリスクに飛び込むことが不可欠だ。こういうゲームがプレーしたいんだ、と消費者が財布で投票するわけだからね。

[ソース: Gamasutra]

カテゴリ: 業界 タグ: -