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2010年03月02日 (火) 【PS3, Xbox360】

重要性を増すビデオゲームのストーリーテリング

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Heavy Rainの発売によって注目されるビデオゲームのストーリーテリングに関して、IGNがコラムを掲載しています。

正直に告白しよう。ここ半年に私が書いたSony/PS3関連のコラムには、必ずと言っていいほどHeavy Rainをまるで神の再来のように持ち上げるコメントがついていたのだが、それを見るたび、少し身の縮む思いがした。想像を絶するような傑作への期待に憤りを感じたからではなく(私自身もそういう夢を抱いていた)、Heavy RainのデモをE3でプレーした経験があったからなのだ。

確かに技術的に面白い事をやっていたが、ゲームプレーは主にやたらテンポの遅い探索が、時折長めのクイックタイム・イベントで中断されるというものだった。その夜、複数の開発者にその事を話すと、皆の反応は全く同じだった。「オーケー、もうあのゲームはどうでもいいや」と、ある開発者。私も同じ気持ちだった。

だからこそ、あやうく「なぁ、もう少し期待値を下げた方が良いぞ」と何度かコメントを返しそうになったのだ。だが今、そんな事をしなくて良かったと心底思う。Heavy Rainの素晴らしさは、僅か10分ほどのデモからは伝わってこない。一言で言うと、文脈が全てなのだ。

ゲームの物語を全く気にかけないゲーマーは数多いし、キャンペーンを素通りして物語の存在しないマルチプレーに即飛び込むゲーマーもいる。実に勿体無い。確かに、Marioはこの25年間同じ物語を使い回してきたし、Metal Gear Solidの複雑なプロットから僅かでも道理を見つけ出すには大型ナイフが必要になるが、長年にわたって、記録スコアやレベル・アップがない場合、物語こそがゲームを進める上でのご褒美であり続けてきた。ステージをクリアし、カットシーンが流れる。ゲームをクリアすると、(大抵の場合はしょぼい)カットシーンが流れるのだ。

それも変化しつつある。ボタンを押すとご褒美、という単純なものではなく、ゲーム全体に物語をより深く組み込み始めた。ゲームをプレーしているのではなく、物語をプレーする。小説をプレーしているのだ。そうした物語は、我々がステージを先に進んでいくたび、我々の周辺で進行していく。

正確には、変化してしばらく経つ。Alone in the Darkなどのホラー・ゲームは、重苦しい雰囲気にプレーヤーを引き込んでいたが、テクニックは進化した。Silent Hillの環境はただのナビゲーションに過ぎなかったが、10年後のリメイクとなるSilent Hill: Shattered Memoriesでは、風景のディテールがプレーヤーを閉じ込める悪夢を描き出し、プレーヤーの選択によって変化すらする。Dead Spaceの舞台となるUSG Ishimuraを探索すれば、そこで一体何があったのか、目で見るだけで分かるのだ。

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特にDead Spaceは、原理主義者の宗教やエイリアンの遺物などにまつわる神話を作り上げる事までしている。これはElectronic Artsが巨大なフランチャイズとマルチメディア展開を当初から企画していた事も理由の一つだろうが、ストーリーテリングにおけるトリックは、ValveとIrrational Gamesから借用したものだ。

この2社は、プレーヤーは無口の主人公の視点を通して物を見、決してその視点を壊す事がないという、没入感の高いゲームプレーを信奉している。そのため、彼らは物語要素とミッションを提示するやり方が非常に知的だ。カットシーンを使う代わりに、プレーヤーのそばにいる他のキャラクターに、次にする事を語らせる。もしくは、彼らにとんでもなく酷い事が起きるのを見せ付けられるのだ。

そのために、Irrationalは無線とオーディオ・ログに声を付け足してプレーヤーを導き、ストーリーテリング上の穴を埋めると同時に、バックストーリーを語っている。Valveはというと、人の手によって書かれたメッセージを、落書きという形で付け足している。Portalでは、GLaDOSの邪悪な過去を警告する落書きがあった。Left 4 Deadのセーフ・ハウスの壁を覆いつくすアドバイス、希望、情報と偽情報などは、本質的に物語が存在しないゲームに、魅力的なバックストーリーを付け加えているのだ。1人称の没入感を除けば、Dead Spaceはそれら全てを内包し、更にはメニューにアクセスしている最中にも、モンスターに襲われる危険が存在している。プレーヤーは常に、ゲーム、その瞬間、その物語の中にいるのだ。

環境自体が物語を語っている時、物語の存在を無視するのは実に難しい。

Irrational開発によるBioshockは、Raptureによってこの方法論を新たなレベルへと引き上げている。この海中都市では、文字通り滲み出るディテールがプレーヤーの周辺で起こる出来事に背景を付け加えていた。更に言えば、BioShockはテーマを持った1人称シューターなのだ。フランチャイズとしてのBioShockは道徳観の崩壊を描いていて、ゲームをプレーするだけで、そうした思想や欠点が崩壊したRaptureという一例を通して見えてくるという仕組みだ。平凡なミュータントやスチームパンクのロボット、蜂の武器が登場するビデオゲームにしては、悪くない。

BioShockからテーマを取り去ってしまえば、残るのはよくあるシューターだ。メカニックは多少違うかもしれないが、Crysis、Killzone、そしてModern Warfareを差別化するものは、僅かな背景なのだ。戦略的であれアクションであれ、集団であれソロであれ、敵がゾンビ、ナチス、ナチ・ゾンビ、テロリスト、分離主義者、用兵、エイリアン、ミュータント、終末後のギャングたちであれ、自分好みのものが見付かるまで探し続けるだけ。私は出来が良ければ王道のシューターも好きだが、奥の深い背景のあるシューターは、より奥深い体験を提供してくれる。

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そしてHeavy Rainは、その背景、文脈が全てのゲームだ。実際のゲームプレーは殆ど補助的な存在。惹き込まれるような物語を語り、その結果をプレーヤーに委ねるというのが、Quantic Dreamのやり方だ。彼らが普通じゃない操作形態を採用したのは、普通の操作形態は普通のゲームに最適化されているからであり、彼らのストーリーテリングはそれとは異なった双方向性が求められるのだ。だが、物語自体、物語だけが、ゲームを先へと進めるモチベーションとなる。デモをプレーした際に誰かが頭をかち割られても何も感じなかったのは、私がクイックタイム・イベントが好きではない事が大きかった。より長くプレーし、Norman Jaydenの幸せなひと時に時間を費やしたあとだと、クイックタイム・イベントは全く気にならなくなった。物語が私を引き込んだのだ。

色々な意味で、新世紀のMystと言えるかも知れない。例えば、Heavy Rainからゲームを削除しても面白いものが出来るかも知れないが、物語を取り払ってしまったら、ゲームは存在しなくなる。

それは極端な例だ。Heavy Rainは例外で、恐らく先を行き過ぎている。たとえ大ヒットしたとしても、真似をするデベロッパーは出てこないだろう。メインストリームからは外れすぎているし、アクションのゲーマーやパブリッシャーが馴染み親しんでいる作品とはかけ離れている。

とはいえ、無視もされないだろう。多くのデベロッパーが、物語を主な売りとしてプッシュし始めている。Command & Conquer 4: Tiberium Twilightは、まずTiberiumサーガの壮大な最終章であって、最高のRTSという部分は二の次になっているし、Dead Spaceの殆どのCMでは戦略的部位破壊などという言葉は一度も出てこない。宣伝上の決定はともかく、構想段階から、ゲームそのものに今まで以上の労力が注がれている事が分かる。

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だが時には、過ちを犯す事もある。B級ゲームに著名な作家(例えばクライブ・バーカー)の名前を引っ付けて、箔を付けようとするパブリッシャーがいるのだ。大抵、そういったゲームは失敗に終わる。ゲームを書く場合、ゲームの双方向性を考慮しなければならず、ただカットシーンを間に入れて終わりにするわけにはいかないのだ。環境自体も書かねばならず、プレーヤーに重要な物を発見させるのはキャラクターでなければならない。選択には重みが伴っていなければならないし、何よりもプレーヤーが望む選択を映し出し、プレーヤーの感情を反映させ、そうした感情を操らなければならないのだ。物語が中心にある伝統的なRPGが得意とするのが正にそれで、だからこそ誰もがMass Effect 2の成功に注目しているのだ。

Mass Effect 1でBioWareは、1つの失敗につき、3つの賢い選択をした。中でも、「私はこう言う/こうする」というのを「私はこう感じている」に集約したダイアローグ・ツリーに顕著だ。プレーヤーが選ぶだけで、あとはCommander Shepardがやってくれる。続編では、オタクの好物である継続性をゲームに復活させた。1作目のキャラクターをインポート出来るというのは10年以上前のUltima以来久々だが、BioWareは更に進化させている。1作目で下した全ての決断が、今プレーしているゲームに劇的な影響を及ぼすのだ。物語、つまりは君自身の物語が、1作目で終わった場所から継続し、新たな決断を下すたびに形になっていくのだ。

Mass Effect 2が特別なのは、安易な物語上の都合で窮地を付け足すのではなく、1作目で私自身が下した決断の結果と向き合いながら、再びShepardとしてプレーしているからなのだ。私自身がMass Effect 1をプレーする事で、Mass Effect 2を執筆している。同じように、現在もMass Effect 3を書き上げているという事だ。

それこそ、あるべき姿である。

ボスを登場させる口実として物語が存在するゲーム(例えばNinja Gaidenがそれだ)はなくならないだろうが、それで良いのだ。たまには、頭を空にして楽しむ事も必要だ。だが我々は、あまりに多くの時間をヴァーチャル世界で過ごしすぎている。「次はHardcoreでクリアしろ!」以上のものを求めるべきなのだ。私が挙げた作品、そして時間やスペースの都合上挙げる事が出来なかった多くの作品は、それ以上のものを提供してくれる。最終的な答えはどの作品にもないが、Mass Effectの操作メカニックをベースに、Heavy Rainの奥深さとPortalの没入感を実現したゲームなどが望ましい。もしかしたら、今開発中なのかもしれない。物語主導型のゲームはセールス面で大成功してきたし、パブリッシャーからデベロッパーまでがその事に気付いたのだ。

充実した物語を作れば、我々は喜んでプレーする。そしてプレーし続けるのだ。

[ソース: IGN]





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